伝統の織布
お伊勢参りに江戸から東海道を徒歩で20日、航路の舟参宮で15日前後かかった江戸時代。
伊勢の国は、絹の伊勢紬、麻の津もじ、木綿の松阪木綿、伊勢木綿の産地でしたが、元を辿ると
紀元前3世紀、縄文時代から弥生時代へ移り変わろうとする頃、秦の始皇帝の命により、不老長寿の妙薬を求め、童男童女三千人、五穀の種子、百工(各種最高の技術者)を伴い来日した、除福の一行によって、我が国にもたらされた時の最新紡績技術は、絹と麻を織り、その後、時を経て、断片的に渡来する人々との交流によりUpdateしながら、脈々と受け継がれてきました。
16世紀になると日本でも綿の栽培が普及し、古代紡績の中心地であった伊勢の地は土、水、天候、冬場の肥料に恵まれ、上質な綿の一大産地になったといいます。
17世紀以降の江戸時代では、伊勢の国からきた木綿「伊勢木綿」「松阪木綿」と称し、全国を旅する伊勢商人(松阪商人)や御師によってその名が知れ渡りました。伊勢木綿は「白雲織(紺無地)」、「伊勢晒」と共に有名になり、縞模様も織られるようになって、庶民のおしゃれ着として親しまれ、反物は伊勢参宮で賑わった街道の名物みやげとなりました。また、松阪商人である『三井八郎兵高利』が江戸に出店した呉服屋『越後屋』(現在の三越の前身)は飛ぶ鳥を落とす勢いであり『松阪木綿』の名称は江戸中に響き渡りました。
20世紀の明治時代に入り、国の政策や豊田式織機の革新的な普及によって、木綿業は更に盛り上がりを見せますが、化学繊維の発展や、生活の洋風化、また、世界恐慌によって打撃を受け、たくさんの業者が廃業を選び、現在では、「松阪木綿」は御絲織物(株)、「伊勢木綿」は臼井織布(株)各一社のみとなりました。<続く>
店主
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※画像はすべて「伊勢木綿」臼井織布(株)
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